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伊丹十三選集1

伊丹十三・著/松家仁之+中村好文+池内万平・編集

岩波書店

¥ 3564(税込)

『伊丹十三選集』全3巻、完結!

《刊行のことば》
伊丹十三が亡くなってから、二十年の歳月が流れた。

映画監督に専念するようになったのは、五十歳を過ぎてからのことだった。それまでの伊丹十三は、デザイナー、俳優、イラストレーター、エッセイスト、翻訳者、テレビドキュメンタリーのディレクター、雑誌編集者などとして多岐にわたる表現活動に携わり、それぞれの分野で比類ない才能を発揮した。

なかでもエッセイストとしての力量はめざましく、初の著書『ヨーロッパ退屈日記』(一九六五年)でそれは早くも明らかとなった。海外の映画に出演するため長期滞在したヨーロッパの、風俗、文化、人間をつぶさに観察した文章には、無類の面白さがあった。同時に、知見に裏打ちされたその批評眼は、高度経済成長のただなかにいた日本人の自画像をあぶりだし、苦味のある相対的視点をもたらした。

以来、映画監督になるまでの約二十年、しなやかで軽い独特な文体で、さまざまな主題を自在に料理してゆくエッセイスト伊丹十三は、同時代に多くの読者を生むばかりでなく、のちの書き手に大きな影響を与えた。書き言葉に意図的に話し言葉を混交させる文体は、伊丹十三が切り拓いたといっていい。

注意深く執拗ともいえる対象への取材とアプローチは、映画監督の方法論にも継承されてゆくスタイルであった。抜きんでた成果をあげる研究者に会い、問いを投げかけ、対話によって摑んだものを誰にでもわかる話し言葉でまとめた。家事や子育てに情熱をもって取り組みながら、性差や親子関係に潜む抑圧の構造を明るみに出した。伊丹十三はつねに行動する知性であった。

エッセイストとしての仕事の全体をあらためてふり返れば、「私」とは誰で、どこからやってきて、どこへ向かおうとしているのか──つねにその問いかけが横たわっていた。その問いは、いまも力を持つ。

私たちは伊丹十三がとりあげてきた主題のうち、「日本および日本人」を縦軸に、恋愛、結婚、子育て、といった「自己と他者の関係性」を横軸に、また縦軸と横軸が生む地平を自在に行き来する原動力としての「好悪の感覚」にも光をあてて、三巻に分けた選集を編むこととなった。

ひとりの自由な精神の軌跡のうえに、その先見性と現代性を発見するこの選集が、長く読み継がれてゆくことを切に願っている。